【歴史探訪】無限の時を刻む…動いている様々なレトロ時計を展示「松本市時計博物館」

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個人収集の多彩な時計が見られる「時計博物館」。

以前は、松本市立博物館の人気展示だったそうですが、市民の寄贈などもあり時計専用展示の博物館として市が運営しています。

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日本一大きな振り子が時を刻む、街のシンボル。

出来るだけ動いている時計を展示しているのが特徴

女鳥羽川の畔にたたずむ松本市時計博物館は、平成14年の開館以来、市内外多くの方々に愛されている「時」をテーマとした博物館です。外観正面の日本一の大きさを誇る振り子型時計は、城下町松本のランドマークになっています。

館内の時計はできる限り動いている状態で展示しており、古時計コレクションの魅力を引き出しています。

当館が収蔵する古時計コレクションは、諏訪市に住んでおられた故本田親蔵氏が生涯をかけて蒐集し、昭和49年に松本市へ寄贈された本田コレクションを母体としています。

これらは、16世紀から 20世紀初頭にかけて、日本やフランス、イギリス、スイス、アメリカ等の世界各国で作られた時計およびその関連資料で、総数は約 340点を数えます。

入場すると現代・未来の時という幻想的なスペースが広がります。

このスペースにもレトロながらもちゃんと動いている、今見てもちょっとおもしろい時計の展示からスタート。

大正時代の時計が今でも時を刻んでいます。

現代から未来の展示とのことですが、大正時代なんだよな。現代とは…(^_^;)

絵本に出てくるようなおじいさん、こんにちわ~

こちらの時計博物館に展示のある様々な時計の予習。

中世から近代の時

中世から近代の時計の展示。

こちらは海外の時計の展示もあります。

アニメや絵本に出てきそうなレトロでありながら、ちょっと親しみも感じるエレガントさ。

古代の時

こちらは古代の時計の展示。

おおお、ここからかぁ~

小学校で作らさせれた思い出。今思えば、時計見ながら日時計の印をつけるという本末転倒な授業だったけど(^_^;)

紀元前1500年前のものでエジプトで発掘されたとか、ロマンしかない。

馴染みのある砂時計もエジプト発明品とは…昔はカップ麺作るときは砂時計使っていた人も多かったと思います。

喫茶店でお茶の抽出時間なんかも砂時計で計っていた(待ち時間)記憶。

ろうそく時計って…環境によって違いも多そうで、正確に時を計るって本当に難しかったでしょうね。

それでも東大寺では現在もこの時計によって行事を司っているとは…ひとつ利口になりました。

この後は2階の展示室へ。

和時計の世界

ここからは和時計の世界。

天文20年(1551)、キリスト教宣教師フランシスコ・ザビエルが、周防の大内義隆に機械時計を伝えたのおうをはじめ、西洋諸国から各地の戦国大名に機械時計が贈られました。

江戸時代になると、幕府や藩は「御時計師」を抱え、盛んに和時計の製造を命じます。

その時計をもとに「時の鐘」を撞いて、庶民たちに時を知らせていました。江戸時代の終わりには、不定時法に対応する時計や、尺時計、枕時計といった小型の時計が製造されるようになりました。

あんまり考えたこともなかったけれど、正確な時間がわからない江戸時代とかに「何時にこの店に待ち合わせ」なんて約束はどうしていたんだろうと…

不定時法と時計

機械時計が伝えられた当時の日本では、昼夜をそれぞれ6刻に分け時刻を表していました。

この時法は、昼と夜、また同じ昼でも夏と冬では1刻の長さが変化するので不定時法といいます。

そのため日本では、指針の進むスピードを昼夜自動的に換える二挺天符の時計や、 文字盤を調節する割駒式文字盤など、不定時法に合った時計を工夫しました。

時代劇でも出てくる干支を時間に当てはめた和時計。

子供の頃、寝ないと脅された「草木も眠る丑三つ時」…犯罪が起きそうな、幽霊が追いかけてきそうな、妖怪が待ち伏せしていそうな時間。

草木も眠るんだから、子供が眠らないとひどい目にあう…的な脅し文句でさっさと寝るように急かされました。

和時計の製造

日本で初めて製造された時計は、京都の津田助左衛門が徳川家康に贈った時計といわれています。

松本藩では「松本城本丸御殿絵図」に「御時計間」があり、この部屋で時を計り太鼓門の橋で時を知らせていたと考えられます。

松本藩には、安曇郡上野村(現在の梓川上野)出身の渡辺虎松信編 (1782~1849) という「御時計師」がいました。

江戸時代から作られた時計の展示。

設計図が残っています。

櫓時計と掛時計

初めて作られた和時計は、橋時計または台時計と呼ばれる形の時計です。

大きな錘で歯車を動かし、上部の棒天符と冠型脱進機で調速し、正時には鐘を鳴らして時を知らせました。

不定時法に合わせるため昼夜ごとに棒天符の錘を掛け替え、指針のスピードを調節できるよう工夫されています。ほとんどの櫓時計は、掛時計としても使用できるよう吊り金具が付いています。

松本城にも時計が置いてあったそうです。時計間と書いてあるので、時計専用の部屋だったのかも…

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大~きなのっぽの古時計~♪と歌いたくなるような絵に書いたような古時計。こちらは動いています。

絶対に手を触れないでください。

もしかしたら、これを直せる職人もあまり残っていないくらいでしょうから、故障は「ダメ!絶対!」なんでしょう。

西洋時計の世界

西洋時計の世界

原始以来、人は自然のリズムに合わせて生活してきました。その時刻表示法が、不定時法にほかなりません。

機械時計が発明されると、西洋では規則正しい機械のリズムに合わせ、時刻を定時法(現在の日本の時法と同じ)に改めました。

西洋時計は、 振子装置により分針を備えた精巧なものへと進化し、さらにゼンマイの発明により時計の小型化が図られました。ゼンマイ時計は鎖引装置により動力を一定に保っています。

時計が懐中時計や腕時計にまで小型化するには、ヒゲゼンマイの発明まで待たねばなりませんでした。

さすが時計発祥の地エジプト「クレオパトラの美術置時計」。学校でも習いますが、エジプトは文明が早くに発展していたんですね。

芸術性や美術面でも素晴らしい。

クレオパトラ以外の装飾時計も美しくて繊細な作りでした。

このあたりになると、普通に見覚えのある時計が並びます。

でかすぎる懐中時計は懐に入らなそう。

このあたりになると、スパイ・ファミリーの「ヘンリー・ヘンダーソン先生」がそっと取り出しそうで、令和世代でもアニメや映画で見かけて馴染みがありそうですね。

身につける時計

鎖引装置の発明によりゼンマイから安定した動力が得られるようになると、時計の小型化に力が注がれるようになりました。

17世紀の初めには懐中時計が製作されるようになりましたが、当時の懐中時計は饅頭型の分厚ぼうざいまんじゅういものでした。

18世紀から19世紀にかけて、懐中時計は非常に高価で、彫金や七宝細工で装飾されたケースに収められていました。

今見ても不思議な動きをする振り子飛行玉時計。

こういうものを見ると、スマホで時間を簡単に調べることが出来るのも便利なようで、ちょっと味気ないものなのかなぁ。

タイパ優先でゆとりがなさすぎる現代にはぴったりなのかもしれないけど、昭和、大正はいい時代だったと思われる所以かもしれません。

振子の不思議

オランダのホイヘンスが振子運動の原理を時計に取込んだことにより、時計の精度は大きく進歩しました。

さらに、振子の周期を一定に保つため水銀を振子の錘にした時計が発明されました。

また、振子の動きを装飾とした総体振時計や振子回転時計も作られています。

天井に吊るすタイプの時計もあり、見上げると時間がわかる。おまけにシャンデリア装備でこれはこれで合理的。

蓄音機とSPレコード

レコードマニアには嬉しい空間も。

蓄音機とSPレコード

1877年、エジソンによって「フォノグラフ(蓄音機)」が発明されました。 エジソンのレコードは、蝋を円筒形ろうにしたものでしたが、10年後にはべルリナーが円盤形のレコードを開発し、大量生産を可能にしました。

日本に蓄音機とレコードが伝えられたのは、明治12年(1879)で、同25年には国産が始まっています。初めの蓄音機は手動式でしたが、1895年にエジソンによってゼンマイ式蓄音機が製作されました。

ゼンマイを動力とする蓄音機の製造は、わが国では時計職人が行いました。1分間に 78回転のSP (standard playing) レコードは、片面3~4分の演奏時間ごとにゼンマイを巻きなおしました。

蓄音機ってエジソンでしたね。小学生くらいに使ったきりあまり出動していなかった記憶が呼び覚まされた。

レコードの回転数って、さすがにアルバム33回転とシングル45回転でしたが、もっと古いレコードは78回転とは…

ラッパ蓄音機。さすがにこれも映画やアニメレベルで目視は初めてかも。

余談ですが、

Dr.STONEで、宇宙に行っていた故に石化を免れた千空のお父さんが後に記録を伝えるために、レコードを作りますが、現代人でこういう知識を普通に持っている人って専門家やマニア以外には皆無なレベルでしょうね。

石化を免れても生き残れる自信も皆無です…(TдT)

もっとでかいやつ。

これがまさかの携帯用蓄音機。ここを通って今があるわけですから、技術の進歩って時間と人類の努力の結晶です。

レトロ居酒屋に飾ってありそうなレトロ印刷な広告。日本でも音楽の革命が起きていました。

普通に見覚えのある目覚まし時計ですが、今も2つ鈴がついてガンガンなるタイプはあるんでしょうかね。

めざましテレビのキャラクターは健在ですが、こちらもスマホのアラームで代用している人が多いので、もはや過去の産物なのかもしれません。

体内時計を使っていた時代から、時を管理するために作られた時計の数々。

日時計から始まり(本当は水時計とのことでしたが)、割と現代で見かける時計や、装飾が美しい時計まで…

Googleの口コミでは、展示品が少ないという印象をもつ人もいるようですが、それでも、約4000年の時間を時計を通して遡る事ができます。

常時約110点の時計と関連資料を、それぞれのテーマにもとづいて展示・解説し、展示替えも行いながら収蔵する600点あまりの時計を紹介しています。

とのことなので、何度も訪れることができれば、展示品はそれなりに多いのかもしれません。

まとめ

入場料は500円。写真撮影はOK!とのこと。

興味がない人には全く刺さらないかもしれませんが、想像力豊かに時間を遡る才能があれば、楽しめる博物館だと思います。

「古の人たちはどうやって待ち合わせしていたのだろう」

現代人よりも体内時計が正常でそれなりに問題なかったのか、太陽の位置で時間を管理していただろうから、あの山の上に来たら集合~みたいな感じで集まるのか…

電車が1分も送れずに駅に到着するために、約4000年もの時間がかかりました。時間が「皆のもの」になるには、またたくさんの時間がかかりました。

時への思いを時計を見て感じる。これをロマンと感じるか、全く面白くないかはあなた次第。人を選ぶ博物館です。

 

近くにからくり時計も

時計博物館の近くに観光地としては地味ですが、時計としてはド派手はからくり時計があります。

1時間ごとに、演奏曲が2曲流れます。

ぱかっと開いて、人形が演奏を始めます。

一度衰退しているのですが、松本手まりは松本市の推しのようで、このモチーフはところどころで見かけるようになりました。

動くとかわいいので、音楽が流れると、スマホを向けている人も多い。

閉まってしまうと何事もなく静かになって、巨大なオブジェに。地元では、待ち合わせ場所などになっているのでしょうかね。

Googleマップの口コミは何気にいい感じですが、ただ時々からくらない(^_^;)時間があったりするみたい。

1時間待って見るほどではないけれど、たまたま歩いている時に見れたらラッキーって感じですね。

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